【ミニバス】挫折を経験した子供に親ができる事とは?

保護者向け

子供は様々な経験をしながら成長します。

スポーツでは「悔しさ」「挫折」など、普段の生活ではなかなか出来ない経験をします。

人が成長するためには「挫折」も必要。

大人はわかっていますが、当の子供は大変です。

そして、苦しむ我が子を見る親も胸が痛くなるものです。

筆者は普段より、ミニバスコーチとして様々な子供の挫折を目の当たりにしています。

また、10年以上整形外科病院に勤務する理学療法士として活動しています。

大怪我をした選手、大事な大会に出れず悔しい思いをしている選手を何人も担当してきました。

その経験を活かし、挫折をした選手に親はどんなサポートをするべきかをまとめました。

ポイントは以下の3つです。

・頑張っている事を認めてあげる

・逆にチャンスである事を伝える

・有名人の挫折エピソードを紹介する

頑張っている事を認めてあげる

親が一番にすべき事はその努力を認めてあげること

『SLAM DUNK』の作者である井上雄彦氏は2006年に「スラムダンク奨学金」を開始しました。

高校を卒業後、大学あるいはプロとして競技を続ける意志と能力を持ちながら、
その夢を果たせない状況にある若い選手を支援する奨学金です。

スラムダンク奨学金の11期生として渡米した小林良選手は大きな挫折を味わったそうです。

体力、経験の充実した大学のラストイヤー。

活躍に闘志を燃やしている最中、練習中の接触により左目の視力を失います。

大好きなバスケットを続ける事が出来なくなりました。

大きな挫折によりどん底を味わった小林選手を救ったのは井上雄彦氏だったそうです。

以下、小林良選手本人のブログからの引用です。

スラムダンクの井上先生は、スケジュールが合えば、スラムダンク奨学生の活躍を見に、アメリカに足を運んでくださります。

正直、僕は、合わせる顔がない、と思っていた。それでも、僕のためにブリッジポートに立ち寄ってくださるとのこと。
考えて考えて、気づいたら、到着の日。

先生が車から降りてきて、何も言わずにグッと力強くハグしてくれた。

「目、きつかったな。つらかったな。」

泣かないようにしていたけど、涙は出ていたと思う。
前回、ブリッジポートに来てもらった時は、大学一年。成長した姿を見せれる、いい機会になったはずなのに。

「プレーしているところをみせれず申し訳ないです」というと、

「全然いいんだよ。話せてよかった。」といってくれた。

その後、キャンパスや自分の部屋を案内した後、近くのローカルのピザ屋に行った。

映画The First のことから、先生の過去のアメリカ旅など、たくさん聞かせていただいたお話の中で、今の僕が大事にする言葉たちが何個もあります。

「良なら大丈夫。」

「道は続くよ。」

「良には器がある。」

「もう十分やってくれた。」

井上先生は、とにかくオーラがすごいんです。そして言葉の一つ一つがすごく力強くて、重みがある。

それぞれの言葉の文脈や、詳細は伏せるけど、このタイミングでもらう、この言葉たちは、僕に勇気と力をくれた。

小林良さんのnoteより引用

この後、小林選手はバスケットの道ではありませんがしっかりと歩みを始めたそうです。

「挫折」を味わっている選手に必要なのは叱責やアドバイスではなく、このように無償の愛で、頑張りを認めてあげる事。

歩けなかった赤ちゃんは何度も転びながら歩けるようになります。

世界的に活躍するアスリートも学生時代は全然・・・なんて事も珍しくありません。

「挫折」を経験をしているという事は、しっかり目的・目標があり、それを叶えようと努力をしていた証拠です。

親がその努力を認めてあげることで、子供は立ち直り、自分の足で歩み始める事でしょう。

逆にチャンスである事を伝える

「失敗は成功の母」というように、悪い事ではありません。


むしろ自分を成長させる大きなチャンスになり得ます。

お笑い芸人のゴルゴ松本さんがすごく面白い授業を行なっていました。

「難」という漢字は、「苦難」、「困難」、「災難」など悪い意味につながる。

しかし、「難」が「無い」人生は「無難」な人生になる。

一方、「難」が「有る」人生は「有難い」人生になる。

「苦難」があるからこそ、乗り越えた時に強くなれる。

「困難」があるからこそ、解決をするために頭を使い工夫する力が身に付く。

「災難」が有るからこそ、周りとの団結が強くなります。

もし、お子さんに「難」が起こり挫折しているならば、それはまさに成長のチャンス。

お子さんが理解できるようにこんな話をしてあげるといいかもしれません。

有名人の挫折エピソードを紹介する

プロスポーツの世界で活躍する選手も挫折のエピソードの1つや2つあるものです。

むしろ、大きな挫折があったからこそ乗り越えようと努力し、成功したと語る選手も多くいます。

憧れの選手でもそんな挫折があった事を知ると、自分も頑張る意欲が湧いてきます。

バスケットの世界で大きな成功を収めている選手の挫折エピソードをご紹介します。

地元高校のレギュラーにすらなれなかったバスケットの神様

バスケットの神様と呼ばれるマイケルジョーダン

NBAでの圧倒的な活躍から挫折とは無縁のような人物ですが、実は高校入学時は背が低い事が理由で、最初は地元の高校のレギュラーになる事すら出来なかったそう。

必死の努力の末にレギュラーを獲得した後も、選抜チームに選ばれる事が出来ず、再び大きな挫折を経験。

家に帰って一晩中泣いたそうですが、その時に世界最高のプレーヤーになる事を決意したそうです。

マイケル・ジョーダンは以下のような名言を残しています。

I’ve missed more than 9,000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. Twenty-six times, I’ve been trusted to take the game winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.

私はキャリアを通じて9000回以上シュートを外し、300試合に敗れ、決勝シュートを任されて26回も外しています。

人生で何度も何度も失敗したからこそ、今の成功があるんです」

Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)

“期待薄”と評されたNBAの革命児

現在でも現役アメリカ代表選手として輝きを放つ、ステフィン・カリー

4度のNBAチャンピオン、2024年パリオリンピックで金メダル獲得に大きく貢献するなど輝かしい経歴を誇るカリーも挫折を経験してきた選手です。

元NBA選手であるデル・カリーを父にもち、高校時代から目を引く活躍をしました。

しかし、希望する地元の強豪大学からは全くオファーをもらう事が出来ず悔しい思いをしました。

悔しさをバネに成長したカリーは大学1年生から活躍。

2009年にNBAドラフトにアーリーエントリーし、現在の所属チームであるウォリアーズから指名を受けました。

しかし、ここでも試練が訪れます。

「小さすぎる」

「身体能力が足りない」

「ディフェンスが出来ない」

とファンから酷評され、全く期待されていませんでした。

しかし、そんな批判を覆す活躍を見せ、今ではNBAの3ポイントシュート成功本数で歴代1位の記録を持つ名シューターとなりました。

カリーがなぜ努力を続け、シュート打ち続けられたかを感じられるエピソードがあります。

カリーは2018年9月に来日し、日本の学生に向けてイベントを開催しました。

イベントの中で、シュートが決まらず、諦めそうになった少女に対してカリーが発した言葉


I’ve been playing for 30 years and not all shots go in. There is nothing wrong with not entering. The important thing is to keep hitting until it hits.

僕も30年間プレーしているけど、全てのシュートが入るわけじゃない。入らないことは全然問題ない。大事なのは入るまで打ち続けること。

ステフィン・カリー

入学早々、洗礼を受けた名門”能代工業”のスーパールーキー

全国大会最多優勝回数を誇るのが秋田県の名門、能代工業高校です。(現在の能代科学技術高校)

日本人として初めてNBAのコートに立ったのが能代工業出身の田臥勇太選手。

入学してすぐにスターティングメンバーとして起用され、全国大会でも3年連続ベスト5を受賞。

そんな輝かしい成績を誇る田臥選手には入学早々に試練がありました。

全国大会では負けなしですが、東北大会で実は1度だけ負けた事があります。

対戦相手は仙台高校。

チームの司令塔として期待されていた田臥選手はその試合で5ファールを犯し、最後までコートに立つことが出来ませんでした。

試合後にはその事を監督にかなり厳しい言葉で叱責されました。

悔しさをバネにさらに成長。

全国大会で負けなしの3年連続3冠を達成しました。

名門能代工業で厳しい環境に身を置き、大学はまだ日本人には珍しかったアメリカ留学を決断。

言語の壁とも戦いながらプレーするのは挫折の連続だったはずです。

後悔もするし弱音も吐く、それでも必ず前を向く

田臥勇太

この精神が日本人初のNBAプレイヤーになった理由かもしれません。

日本の絶対的司令塔の弱点

2023年沖縄ワールドカップ、2024年パリオリンピックで世界に衝撃を与え、日本人4人目のNBA選手となったのが福岡第一高校出身の河村勇輝選手。

1年生司令塔として出場したウィンターカップの準決勝は河村選手にとって転機となる試合でした。

永遠のライバルである同じ福岡代表・福大大濠高校との対戦。

ゾーンディフェンスをしてくる大濠高校に対して、インサイドにボールを入れるチームの約束事を徹底できず、外からのシュートに頼ってしまいチームは敗戦。

自信が放った3Pシュートも0/10と不発。

チームの約束事を徹底できなかった、シュートを決めきれなかった悔しさから敗戦の責任を感じたそうです。

それ以降の活躍はバスケットファンであれば知らない人はいないでしょう。

・ウィンターカップ2連覇

・B1最年少得点記録

・インカレ制覇

・B1新人王+リーグMVPのダブル受賞

・ワールドカップ、オリンピックで中心選手として大活躍

・NBAメンフィスグリズリーズと契約

いずれの活躍も持ち前のスピードに加え、正確な3Pシュートが武器になりました。

大濠戦後は

「1年間ずっと3ポイントシュートの練習に取り組んだ。」

と語っており、練習前後に各1時間づつシューティング練習を行なったそうです。

現在の素晴らしい活躍の始まりは、シュートが入らなかった「挫折」だったかもしれません。

まとめ

筆者が考える挫折から立ち直るために親ができる事は

・頑張っている事を認めてあげる

・逆にチャンスである事を伝える

・有名人の挫折エピソードを紹介する

でした。

ポイントを3つ挙げましたが、最も大事なのは「頑張っている事を認めてあげる」だと思います。

子供は自分で成長する力を持っています。

見守ってあげるだけで十分な事も多いため、お子さんの様子をしっかりと観察し、必要なサポートをしてあげてみて下さい。

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